例えば、何か大きな災害が起き、悲しいことにたくさんの命が奪われたとする。
「有ったモノが無くなる」という所に人間という生き物は敏感で、誰かは涙によって、誰かは悲しみを込めたセリフで、誰かはアーティスティックな表現で、それぞれが感じたことを外部へ伝達する。
そして無くなったモノへの悲しみを表現した人間たちは、次に何をするのかというと、「今そこに有るモノ、今自分が持っているモノ」への大切さに気がつくことになる。
側にいてくれる家族や、友達の存在を改めて見つめ、つながりを感じ、慈しみあう。
周りの人を大切にしよう。感謝の気持ちを忘れずに。
やっぱり人間は、美しい生き物だ。

しかし、インターネットを手に入れ、SNSが普及した今、僕らはその美しさとは正反対の行動によく悩まされるようになった。

あれだけ共同体としての美しさを表現できる人間が、なぜ自らの手で排除することを厭わなくなったのだろうか?
なぜ、このような矛盾が起きてしまっているのか?
合わせて読みたい!
メンヘラツイートをしまくる変わった女に何でそんなことしてるのか聞いてみた。
簡単な内容
SNSでブロックや無視を平気でできる理由は、「しがらみ」がないから。

なぜインターネット上では、ブロックなどの手段を用いて相手のことを簡単に排除できるのか?
そのキーワードは、「しがらみ」です。
例えば、一般的に人々は、日常生活で繋がりのある人のことをネット上だからといって、ぞんざいに扱おうとはしません。
なぜなら、ネット外でも関わらなければいけないため、相手との関係性が悪くなってしまうと、自分の日常生活に支障をきたす可能性が高いからです。
では、インターネット上だけでしか関わりのない人はいかがでしょうか?
👉自分の日常生活に支障をきたす可能性は低い。
これが「しがらみ」です。
インターネット上でしか関わりのない相手には、「しがらみ」がほとんどないので、ぞんざいに扱うことができるのです。
なので、「人を大切に」などと言いながら、ブロックや中傷など、その真逆の行動をすることができるのです。
現実世界でもしがらみがない相手はいる。

しかし、日常生活という現実世界であっても、「しがらみ」がないケースはあります。
例えば、街コンなどで1度しか会ったことがない相手に対しては、連絡先を交換したしても、ブロックする可能性は高いです。
なぜなら、自分から働きかけない限り、もう2度とその人に会わなくていいため、日常生活に支障をきたさないからです。
恐らくあなたにも、「どうせこの人とはもう2度と会わないから」と思い、嘘をついたり、少し背伸びをしたという体験があるのではないでしょうか?
ここから学び取れることは以下のようなことです。
人間は、自分から働きかけない限り会うことがない相手のことをぞんざいに扱うことができる。
つまり、人間はもともと再現性が低い(しがらみが薄い)相手のことをぞんざいに扱える生き物なのです。
SNSの普及により、再現性が低い相手と簡単に繋がれるようになった。
インターネットサービスが生活する上で当たり前になった今、人と人とが簡単に繋がれるようになりました。
それは、再現性が低い(しがらみが薄い)人との付き合いが莫大に増えたことを意味しています
ではどのようなことが起こるのか?
👉人をぞんざいに扱うケースが多発。
なぜなら、人間はもともと再現性が低い(しがらみが薄い)相手のことをぞんざいに扱える生き物だからです。
それにより、人々は知らない相手からの誹謗中傷や仲良くなったはずの相手からのブロックに悩まされるようになりました。

これが人間関係が希薄になっていると言われている背景です。
人間関係が希薄になったわけではなく、浅い関係性の人ととの付き合いが増えただけ。
つまり、人間関係が希薄になった訳ではないのです。
もともと再現性の低い、しがらみのない相手をテキトーに扱える人間が、インターネットの普及により、その能力が多発的に発揮されているだけなのです。
では、どうすれば相手からぞんざいに扱われないのか?
それは日常生活における大切なことと大して変わりません。
相手に自分のことを価値のある存在だと認識させればいいのです。
合わせて読みたい!
まとめ
- SNSでブロックや無視を平気でできる理由は、「しがらみ」がないから。
- 現実世界でもしがらみがない相手はいる。
- SNSの普及により、再現性が低い相手と簡単に繋がれるようになった。
- 人間関係が希薄になったわけではなく、浅い関係性の人ととの付き合いが増えただけ。
- 嫌なら相手に価値のある存在だと思われよう。
もっさん(@mossanyame)
コメントを残す